シリア内戦とシリア人親子がドイツへ避難するまで〈世界の今と子どもたち①〉

シリア
<世界の今と子どもたち>このシリーズでは、世界の情勢について知る・考えるきっかけを作り、子どもたちのために私たちに何ができるか考えていきたいと思います。今回は、シリア情勢とドイツ難民についてです。
シリアでは、2011年3月以降、各地で反政府デモが発生し、政府軍vs反政府軍の争いが続き、そこへ過激派武装勢力(ISIS)などが加わったことで、多数の死者、難民を出すまでに問題は大きくなってしまいました。在英NGO「シリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights)」が今年3月12日に報道した内容によると、この7年でシリア内戦における死者が合わせて51万人を超えたとのことです。

政府軍vs反政府軍の争いが更に大きな戦争に発展

破壊されたシリアの街
シリアは1970年以来、少数派であるアラウィ―派のハーフェズ・アサド大統領が長期的に政権を維持してきましたが、2000年6月10日に69歳で死去。その後、長男の事故死により、次男のバッシャールが2000年7月に大統領職に就き、現在まで続いています。
シリア内戦の背景には宗教も大きく影響しています。政府側は少数派のアラウィ―派ですが、国民の大半はスンニ派。アサド大統領はアラウィ―派であるため、アラウィ―派の優遇政策を次々と打ち出してきたわけです。
これに対して不満を抱えた国民が大規模なデモを行ったのが2011年3月。これを政府軍が激しく弾圧したところから、政府軍と反政府軍の争いが強まります。そこへ、勢力拡大を企てていた過激派武装組織(ISIS)が参入。考えられない程の悲惨な状態へと発展していきました。そしてその後、アメリカとロシアが軍事介入し、情勢はますます混沌としている状況です。

多くのシリア人が難民として欧州へ移住

長年にわたる内戦により、多くのシリア人が欧州へ難民として移住しています。
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身内を殺され、5時間泳いでシリアから逃げてきたLちゃん一家

そして次はドイツ在住のsayakaさんが、2年前にシリアから逃げドイツ難民になったLちゃん一家にお聞きいただいた話しです。
海を泳いで逃げるドイツ難民
2年前にシリアから逃げてきたというLちゃん一家は、まずは誰にも見つからないように夜徒歩で(時には走って)レバノンに入る。そこからはバスと徒歩で海まで移動。50人ほどの難民ボートに乗り、転覆したところからは5時間かけて泳ぎEuに入ったとのこと。
Lちゃんのお母さんの兄弟は6人兄弟で、そのうちの一人は爆弾が頭に当たって死亡。お姉さんは足を失い、両親は高齢のため泳ぐことが出来ず、レバノンへ残っているという。
シリアよりはレバノンのほうが安全だと彼女は言っていました。
Lちゃんのお母さんの兄弟が爆撃を受けて亡くなった時、Lちゃんは4歳。衝撃で熱いコーヒーが飛んできてLちゃんは火傷したと、腕に広がる大きな火傷の跡を見せてくれました。その時の記憶がしっかりあるらしく、今も夜Lちゃんはうなされたり泣いたりするようです。
アラビッシュのダンスを踊る子ども達
(アラビッシュのダンスを踊る子どもたち-sayakaさんブログより)
目の前で肉親を殺される。4歳5歳の子どもたちを連れて息を殺し逃げ、二人を抱えて5時間泳ぐ。 想像できるでしょうか?
平和に暮らしていた生活が一変し、今も毎日、多くの人々が戦争の犠牲になっています。
在英NGO「シリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights)」では毎日最新の情報が配信されています。
自分には関係ない、で済ますのではなく、まずは世界で起きていることにアンテナを張ってみましょう。できることは限られますが、例えば、今、目の前にいる我が子にたくさんの愛情を注ぐ、今こうして生きていられることに心から感謝をする、困っている人を助ける――こうしたことは誰にでもできるはずです。本当に小さなことかもしれませんが、日々のこうした小さいことに手を抜かず、毎日を大切に生活していくことが、遠回りかもしれませんが、将来、この地球上から争いをなくしていくことに繋がるのではないかと思っています。
The World’s Mother Salon編集部
sayakaさんは2017年にドイツのベルリンへ親子で教育移住をしました。ドイツの教育についてのレポートはこちらです。

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