こんにちは。The World’s Mother SalonスタッフのKTです。大阪府北部の町に夫と4歳の娘と3人で暮らしています。
2018年6月18日(月)午前7時58分頃、大阪府北部を震源として、最大深度6弱の地震が発生しました。亡くなられた方、大きな被害に遭われた方もいらっしゃいます。今回は、地震の際に我が家で起こったこと、それを踏まえて今後どうすれば良いか考えたことについてお伝えさせていただきたいと思います。
娘と2人の朝、震度6弱の地震が
地震発生時、私は4歳の娘と自宅マンションのリビングにいました。「もうすぐ幼稚園バスのお見送り。そろそろトイレに行かせないと」と考えていたとき、強い揺れが起こりました。扉や窓がきしみ、ものが落ちる大きな音。とっさに娘に覆い被さり、周りにもののないソファの前でしばらくじっとしていました。
地震速報のアラートは、揺れが起こってしばらくしてから鳴りました。
大きな揺れの後は余震が少し続き、しばらく娘と2人でソファの前で固まっていました。
我が家の被害状況
少し落ち着いたところで部屋を確認したところ、室内の被害は下記のようなものでした。
・洗面所の鏡裏収納の中のものが落ちて、洗面台に散乱
・食器棚のガラス扉は割れず、ものは落ちていなかったが、中で食器が傾いており、扉を開けると落ちてしまう状態。(少し開けた隙間から下敷きを使って、なんとか元に戻しましたが、その際に落ちて割れたものもありました。)
・幅のある台に載せていたテレビが落ちる寸前。
・幅30cmほどの棚の上に置いていたプリンタ、花瓶、写真立てなどは全て落下。
・本棚の本が落下、別室の高い棚の上に置いていたものが落下。
我が家の場合、幸いにも被害は少ないほうでしたが、震源地により遠いところでも食器棚のものがほとんど割れたり、瓦が落ちたり、外壁が剥がれたりなどの大きな被害がでた場所もありました。家の建っている位置、棚の向きなど少しの差によって被害は大きく変わったようです。
ライフラインの停止
ライフラインに関しては、ガスが止まり、水をお風呂に溜めたところ、濁っていて飲めそうにはありませんでした。(下の写真は、水が通常に戻り、溜めていた水を抜いた後の浴槽の底部分です。茶色い汚れが水道水の中に沈殿していたことがわかります。)
恥ずかしながら、昨年引っ越しをした際に備蓄のペットボトルの水をほぼ使い切ってしまい、備蓄水がない状況だったため、午後から娘を連れて買い物に行きました。が、スーパーは大混雑。水、お惣菜、カセットコンロは売り切れ。お茶やジュースを買って帰りました。
夫は電車が運転休止となったことで、通常1時間半の通勤時間のところを5時間ほどかかって 、夜中に家に帰ることができました。車の渋滞もひどく、帰宅難民になってしまった人も多かったようです。
その後、16時から高槻市のほとんどの地域で断水になり、3日後の6月20日(水)に復旧となりました。その間は避難所の小学校に給水に行きました。
ガスに関しては地域差があり、遅いところでは約一週間後の6月24(日)に復旧したそうです。電子レンジやカセットコンロで調理はできるが身体を洗えない、ということで、実家に避難したりする方も多くいました。
子どもの様子
娘は地震後から、トイレに行くのも「いっしょにきて。」と、半径1m以内を離れない状態が続きました。「地震怖い。」「もう来ない?」「なんで地震はくるの?」などとよく口にしました。テレビのニュースも不安をあおるので消していました。
一度、昼間に大きめの余震があったとき、娘はさっとソファの下に潜り込みました。これは幼稚園で月1回行っている避難訓練の賜物です。訓練の大切さをあらためて感じました。
地震はいつ起きてもおかしくありません。今回のことを踏まえ、子どものいる家庭で何を備えるか、もし地震が起きたらどうするか、子どもの心への対応などについて、新あらためて考えていきたいと思いました。
KT@Japan
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<永井佐千子の経歴>
大学卒業後、北京に語学留学
2002年より経営コンサルティング会社で日系企業の中国事業支援に従事
その後、上海の法律事務所で勤務後、2008年に独立
母親が在宅で仕事ができる環境を整えながら企業の事業支援を行う
2015年に一般社団法人世界マザーサロンを設立
一男一女の母
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