(ベルリン・ブランデンブルク門)
ベルリンは、1989年10月3日以前は「ベルリンの壁」で分かれていました。ベルリンの壁は、東西冷戦時代の象徴でしたね。私自身、1988年に東ベルリンを1日観光しましたが、西側から東側へバスで入国した途端、あっ、広告がない!殺風景!という衝撃がありました。
ベルリンで地下鉄やSバーン(JRのような電車)に乗っていると、中心街や観光名所は、旧東ベルリンであるところが多いことに気が付きます。旧東ベルリンになると、駅のホームはぐっと狭くなり、建物も社会主義の象徴のような共同マンションや四角四面の建物が多く、ドイツの各地で見られる「ドイツらしい牧歌的な家」とはかなり印象が異なります。
ベルリンを歩いていても、ここは、西側だったけれど、ここから東側だったところだね~と、興味深く、街を観察することができます。
(東ベルリンの象徴テレビ塔と東側の街並み)
東西で異なる母親支援体制
さて、西側と東側。どちらがお母さんを支援するような制度が整っていると思われますか?どちらが、お母さんが働いている率が多いと思いますか?
答えは、東側です。一見、東側の方が保守的に見られがちですが、実は西側の方が保守的。男性中心の社会となっており、ミュンヘンあたりのバイエルン地方や南部ほど、保守的と言われます。
一方東側は、より民主的で平等。女性の社会進出も進んでおり、お母さんが充分働けるように、保育園、幼稚園も長時間預けられる充実したシステムになっています。家賃も安いところが多く、住みやすいエリアです。
多国籍の人々が集まるベルリン
そしてベルリンは、様々な国籍の人で成り立っています。
戦後、アメリカ、フランス、イギリス、ロシアに4分割された後、ロシア人は、旧ロシアが支配していた地区(旧東ベルリン地区)に住んでいる方が多く、アジア系は、アメリカの影響を多く受けていることから、アメリカが支配していた地区に住んでいる場合が多く見受けられます。
必要としているお店が近くにあるかどうかにもよるのでしょう。我が家もアメリカが支配していた南西部に住んでいます。
ドイツの人口の20%は外国籍の方と言われていますが、ベルリンは更に多いような感じがします。ポーランド、トルコからの移民の方は昔から多く、現在はシリアやイラク、アフガニスタンからの難民の方が増えています。
ドイツの就職状況
欧州の経済破たんのため、ドイツにはスペインやイタリアから仕事を求めてくる若者も非常に多くいます。また、ロシア系の方も仕事を求めて移住しています。日本人は少ないですが、アジア系では、タイ、ベトナム、中国の人々がたくさんいます。
ドイツ全体で見ると、旧東ドイツ側の方が女性の就業率は高めなものの、実は失業率も高め。ミュンヘン、フランクフルトなど家賃は高いのですが、就職口も沢山あると言われています。
しかし、移民にとっては人種差別もかなりあるため、有名な都市部が就職するにあたって必ずしも良いと言えないのが現状です。その点、ベルリンは移民者だらけなので、ドイツの中では人種差別は少ないと言われています。
様々な経験を経て人種差別の少ないベルリン
1989年のベルリンの壁の崩壊から既に27年。様々な経験を経て、ベルリンもコスモポリタン都市を目指して激動してきました。そして、多くの移民や難民の受け入れ。ドイツ全体でみると人種差別はあるものの、「ベルリンは移民者だらけなので、人種差別は少ない」のです。
「ダイバーシティ」をどのようにしたらよいか考えあぐねている企業がまだまだ多い日本にとって、ベルリンから学ぶことも多いのではないかなと思いました。
(柏林牆博物館查理檢查站屋)
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