日本人のDNAに刻まれる桜を愛する心

日本の春、と言えばお花見!桜の花を見ただけで、なぜか気持ちがわくわくしてきます。このお花見の歴史、なんと古代神話以前までさかのぼるそうです。皆さんは最近、自然を心で感じたことはありましたか??

桜の木には神が宿る!

学生時代、アフリカからの留学生に「日本人はどうして桜の木にこだわって宴をするのか」そんな質問を受けたことがあります。
今でこそ春の代名詞といえるお花見ですが、その歴史は古代神話以前まで遡るそうです。桜の木には、神が宿るとされ、農民たちは桜の木に豊作を祈り、宴をしていたとのこと。それが、奈良時代には花を楽しむための行事として変化し貴族が楽しんでいたことが「万葉集」にも桜の歌が残されています。
さらに鎌倉時代に入ると、貴族の楽しみであった桜の宴は、武士や町人の間でも行われるようになりました。京都の寺社や山々に山桜が植えられたのもこの時代といわれています。
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江戸時代後期から明治時代になり花見が庶民の娯楽として定着し、これまでは山桜など自然種だった桜から、植木職人によってソメイヨシノが作られ、公園や学校に植えられ全国に広まりました。
今の日本のソメイヨシノの多くはこの頃に植えられたもの多いのだとか。桜の種別は違っても古代から日本人にとって特別な木であったとは驚きですが、だからこそ日本人にとって桜の花見は特別なものに感じるのかもしれません。
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子ども達の心にも響く、桜の華やかさと儚さ

そして、桜ほどその景色の華やかさと儚さの両面を持ち合わせている花はないかもしれません。それは大人だけでなく、子どもも無意識に感じるようで、こんなエピソードを保育園の先生から聞きました。
クラスでグループの名前をそれぞれ決めたときのこと。園庭の満開の桜を横目にグループ名を「さくら」と意気揚々に付けた子どもたち。ところが、数日たってやっぱり「さくら」は嫌だと。その理由を聞くと、もう散ってしまったからと。園庭の花びらの絨毯も素敵ですが、子どもには寂しく感じたようです。
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きっと子どもたちは、春一番に桜のつぼみを見つけ大発見をしたような嬉しい気持ちになり、一輪咲いている桜をみつけてはお友達や先生と報告し合い、桜が満開となると「きれいだね」「お花見行ったよ。お弁当食べたよ」という会話をしたことでしょう。
そんな光景を想像すると、とても優しく温かい気持ちになりました。そんな心を持てることは本当に有り難いことです。

自然の移り変わりを感じられるゆとりを

どんなに忙しい毎日でも、子どもを乗せ自転車をフル回転でこいでいるときでも、自然の移り変わりに目をむけられる気持ちだけは忘れたくないなと、この桜を見て感じました。親子で自然の変化に気付く、そんな心のゆとりを常に持っていられるような毎日を送りたいですね!
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By saya@Japan
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