避難移住という選択Vol.1~家族と共に岡山へ移り住んだ子どもたち/Japan

「岡山現象」という言葉はご存知でしょうか。東日本大震災による福島第一原発からの放射能汚染をきっかけに、被災地や首都圏から避難という選択をされた方たちの目的地。それは、近畿以西の中で岡山県が最多を記録しました。

なぜ多くの方は岡山を目指したのだろう。岡山にはどんな方たちがいるのだろう。そんな思いを抱きつつ、私自身も岡山を何度か訪れる中で、東日本大震災をきっかけに神奈川から一家で移住を決断されたご夫婦の営む、避難や保養の方向けのシェアハウスがあると聞きました。
そして2017年3月上旬、そのシェアハウスに1週間弱息子と滞在し、東京や神奈川、千葉、埼玉などから岡山に保養に来られていたり、移住をされたりした母子、ご家族の話を伺って参りました。

今回から『避難移住という選択』と題し、特に首都圏から岡山へ移住された母子やご家族の方への取材内容を元に、記事を書かせて頂きたいと思います。まず第1回目は、私の故郷でもある神奈川から、全てを手放して岡山へ移住されたご家族から伺ったお話を中心に、避難移住という選択をされたご家族はどんな心境をお持ちだったのか、お伝えさせて頂きたいと思います。

圧倒的に多い岡山県への避難移住者の数

復興庁によると、岡山県には、2017年2月13日時点のデータ(2017年3月8日毎日新聞東京朝刊 http://mainichi.jp/articles/20170308/ddm/041/040/157000c)で、西日本で最も多い1,016人の避難者がいるそうです。
この数は、避難者として把握出来ている人数のため、実際にはもっと多いのではないかと言う意見もあります。隣の広島県は359人、山口県は100人と報告されており、岡山県が突出して避難者が多くいることが分かります。

岡山県への避難者のうち、およそ3割は福島県からで、残りは関東の首都圏などからの避難者とみられています。実際私が今回岡山へ短期滞在させて頂き感じたことは、私の想像をはるかに超えた多くの首都圏からの避難者の方が、岡山で新しい生活をスタートされていたことでした。
私は岡山市内を中心に、首都圏から岡山へ避難移住された方の営むカフェ、パン屋等がたくさんあることを知り、岡山滞在期間中、それらのお店を可能な限り巡りながら、皆さまのお話を聞いて回りました。

岡山で新たな生活を一からスタートさせたご家族との出会い

滞在期間中の晩に、東日本大震災をきっかけに、大きな赤字を計上しつつも建てたばかりの戸建を売却し、家族四人で岡山へ移住されたきたご家族のお父様とお母様からお話をゆっくり伺う機会がありました。
とても印象的であったお話の一つが、避難移住という選択に関する、お父様の「本音」のお話でした。岡山へ移住される前、神奈川県の自宅周辺を最後、自転車で思い切り走ろうと思ったそうです。そうして自転車で海を見ながら走っていた時、住み慣れた故郷を離れなければならない現実に、自然と涙があふれ出た、と言われていました。

「岡山に来て本当に良かったかと言われると、心から良かったと言えない瞬間も正直ありますよ。やっぱりね、神奈川は自分が生まれ育った大好きな場所。友達もたくさんいるし、子ども達もそこでずっと育ってきたし、憧れの海の目の前に家も買っていたし。そのままいれたらどんなに良かったかと。でも、3.11があって、原発の事故があって。これからどうしようかと考えた時、僕たち家族は、神奈川から離れようという結論に達しました。」

住み慣れた土地を離れるという大きな決断

今回「一家での避難移住」という決断をされ、全く何の縁もゆかりもない岡山で新生活を始めた一家のお話を伺いながら、その背景に潜む、ご家族の複雑な思いを言葉の端々から感じつつ、私自身も涙が出そうでした。そして改めて、東日本大震災によって、日本が、今までの日本とは、大きく変化した事実を思い知りました。

この一家のような避難移住者の方が他県と比べて岡山に多く集まる理由には、行政の移住者向けサービスの充実や、原発が近くにない、地震などの自然災害が少ない、晴れの日が多いなど環境的要素も挙げられています。
(岡山県HP:http://www.pref.okayama.jp/
次回は、岡山になぜ多くの人々が集まるのかについてのお話をさらに掘り下げながら、子どもたちの明るい未来のために、3.11を経験した私たちに出来ることは何があるのかについて、考えたいと思います。
避難移住という選択Vol.2 ~岡山に避難移住者が集まる理由―短期保養で数値改善も~


By Kocchi

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